ワイパックス0.5mg錠でなんとかなっていた時代が懐かしい。今ワイパックス飲んだ
これからReset! Restart!していく人が集まって交流できたらいいな〜と思っているBlogです。鬱や怪我などで今頑張って克服しようとしている方や、新たな一歩を踏み出そうとしている人みんなで集まって相談しましょう!そして共感しあいましょう!その拠点としてツイキャス:http://twitcasting.tv/ や、Chatwork:http://www.chatwork.com/ja/を使用したいと思います!
2012年2月18日土曜日
コントミン200mg、セロクエル400mg
実は100mgというのは去年ODしたときと同じ量。でもあの時は12.5mg錠を8つ飲んで爆 睡した。細かい成分の量は違うとはいえ、昔爆睡していた100mgで今は眠くもならな い。薬は明らかに強くなっているはずなのに。自分自身は全く強くなっていない。昔 は12.5mg錠でさえお守りで自分では1錠持つ事さえ禁じられていた。飲みたい時は親 からもらっていたし、12.5mg錠を使う事なんてあんまりなかった。ワイパックスでな んとかなっていた。それが今は朝、夕に50mg錠を1錠ずつ、頓服に100mg錠を1日1錠。 計200mg。頓服を使わなくても100mg。
ワイパックス0.5mg錠でなんとかなっていた時代が懐かしい。今ワイパックス飲んだ らどうなるんだろうな...。眠剤も昔はグッドミン0.25mg錠だけだったのが、今では グッドミン0.25mg錠+セロクエル200mg錠×2。眠剤ははっきり寝れなくなるのが分か る。はじめは飲んで30分くらいたてば眠ってたのに数ヶ月後には数時間たっても眠く ならない、とか。今の処方では1~3時間で眠れるのでとりあえずはいいけど...。.. .薬が無いとダメな人間に既になっております...
ワイパックス0.5mg錠でなんとかなっていた時代が懐かしい。今ワイパックス飲んだ
2012年2月15日水曜日
歯止めが機能しなくなっている今
今まで 歯止め 無しで 自傷を 回避し たこと は何回 かある けど、 全て代 替手段 を用い ての回 避とな ってい る。代 替手段 として ネット 上での 友達削 除やブ ロック があげ られる 。こん な回避 方法で 良い訳 が無い 。後悔 もして る。で もその 選択肢 がなく なれば 残る選 択肢は 一つ。今は カッタ ーに頼 るしか ないの だ... ><
自己批判、自己嫌悪、自傷、OD
批判しろ。もっと批判しろ。こいつを潰せ。破壊し尽くせ。再起不能にさせろ。抹消しろ。と今頭の中はこんな感情でいっぱいである。
もちろんこいつが指す者は「僕」である。思考が僕を潰そうとしている。それに対して僕は「全て受け入れる」 批判感情であったとしても受け入れる。むしろ批判感情だからこそ受け入れる。だって僕自身、僕を潰したいのだから。
頭の中で考えていることは僕が考えている事である。だからこいつと書くのはおかしいのかもしれないが、僕にとってはこいつで問題ない。頭の中で考えている事は確かに僕の考えていることなのかもしれない。でもそれだと僕の思考=僕の考えとなる。自分で自分を批判することとなる。でもこれでは弱いのだ。だから僕の頭で考えていることは僕以外の僕を知っている別の者の考えであるとする。そうすると僕以外の者の思考になるのだ。自分で自分を批判していることに変わりはないが、順序としては他人に批判された事を僕が素直に受け入れるという形になるのだ。自分で自分を批判するより、自分を知っている他者から痛烈に批判された方がダメージは大きい。だから頭の中の思考は僕とは別の者の考えという風に事実を置き換えることにより、自分を知っている他者から批判されるという僕の理想の形ができあがる。そして他者から批判された僕はとことん落ち込む。鬱モードになる。このモードに入るとさっきまでの考え(上記)を批判する。自分で考えた事を自分で批判するのだ。その後は自己嫌悪感がどんどん強くなる。自分など「どうでもよい存在」、「必要とされていない」、「邪魔者」、「弱虫」、「なにもできない奴」などとさまざまであるが自分に対し強烈な嫌悪感を抱く。その後、その嫌悪感を行動として表す。
その行動が自傷やOD、自分に対する愚痴などである。
そしてその行動に対しさらなる批判をする。この先はループである。薬が効いてくるまでおさまらない事が多い。とか書いてる今も自己批判している。「こんなこと書いてなにになるの?そんなにみんなに迷惑かけたいの?」「誰も見ねえよ、書くだけ無駄無駄」「とっととやめちまえよ」などなど。
この思考は僕ではない他者の思考。僕にとっては自分の中の他者の思考なのである。ただその他者の思考に対し反対する余地もないのでそのままダメージを受ける事となる。
もちろんこいつが指す者は「僕」である。思考が僕を潰そうとしている。それに対して僕は「全て受け入れる」 批判感情であったとしても受け入れる。むしろ批判感情だからこそ受け入れる。だって僕自身、僕を潰したいのだから。
頭の中で考えていることは僕が考えている事である。だからこいつと書くのはおかしいのかもしれないが、僕にとってはこいつで問題ない。頭の中で考えている事は確かに僕の考えていることなのかもしれない。でもそれだと僕の思考=僕の考えとなる。自分で自分を批判することとなる。でもこれでは弱いのだ。だから僕の頭で考えていることは僕以外の僕を知っている別の者の考えであるとする。そうすると僕以外の者の思考になるのだ。自分で自分を批判していることに変わりはないが、順序としては他人に批判された事を僕が素直に受け入れるという形になるのだ。自分で自分を批判するより、自分を知っている他者から痛烈に批判された方がダメージは大きい。だから頭の中の思考は僕とは別の者の考えという風に事実を置き換えることにより、自分を知っている他者から批判されるという僕の理想の形ができあがる。そして他者から批判された僕はとことん落ち込む。鬱モードになる。このモードに入るとさっきまでの考え(上記)を批判する。自分で考えた事を自分で批判するのだ。その後は自己嫌悪感がどんどん強くなる。自分など「どうでもよい存在」、「必要とされていない」、「邪魔者」、「弱虫」、「なにもできない奴」などとさまざまであるが自分に対し強烈な嫌悪感を抱く。その後、その嫌悪感を行動として表す。
その行動が自傷やOD、自分に対する愚痴などである。
そしてその行動に対しさらなる批判をする。この先はループである。薬が効いてくるまでおさまらない事が多い。とか書いてる今も自己批判している。「こんなこと書いてなにになるの?そんなにみんなに迷惑かけたいの?」「誰も見ねえよ、書くだけ無駄無駄」「とっととやめちまえよ」などなど。
この思考は僕ではない他者の思考。僕にとっては自分の中の他者の思考なのである。ただその他者の思考に対し反対する余地もないのでそのままダメージを受ける事となる。
リア充リア充プラス僕
どうもここ最近僕の知り合いでもリア充が増えてきているらしい。リア充か。僕には遠い存在である。思春期の中で「リア充」という言葉は嫌でも僕は意識してしまう。リア充は僕にとって非常に遠い存在というか、自分にはなれない階級だと思っている。ただ、なってみたいものでもある。しかしそれ以前に僕は数日〜数ヶ月と人によって違うが、ある一定の期間交流が途絶えると自分から絡んでいけなくなってしまう。そこには恐怖感と恥ずかしさが存在する。しかもネットでも同じ。
人とコミュニケーションが上手くとれない上に自分から話しかける事もできない。これでは友達を作るのでさえ難しい。先月某高校に体験入学に行ってきた。その時一回だけ女子生徒数人とすれ違う場面があったのだが、僕は「赤面」、「硬直」、「頭が真っ白」になった。その後失笑される。普通はこの後どういう風に感情が変化するのだろうか。女子生徒に対して怒りや嫌悪感をおぼえるのだろうか、よくわからないが、僕の場合、「強烈な自己批判」へと感情は移行した。自分が赤面、硬直、頭が真っ白になった事に対して強烈な怒りを感じるのだ。そして感情は自己嫌悪へと移行する。この時点で自分の中で自分という存在はもう「どうでもいい存在」になっている。その後自傷へ至る事もある。
先ほどあげた、一定期間が過ぎると話しかけられなくなる事に関しても自分の中で痛烈に批判している。「なぜそんなこともできないんだ!」「お前は友達を作りたいのか?答えろ糞野郎」「みんなできるのにお前はできない」「とっとと自傷してしまえよ」「仮に話しかけたって相手にとって迷惑なだけだよ、だって話しかけてきたのがお前だもん」とこんな感じ
である。あらゆることに関して自己批判の感情がおこってしまうのだ。普通なら自分を褒めるような事でも僕にとっては批判する種でしかない。今文章がおかしなことになっていることに関しても強烈に批判している。結局はここにたどり着く。「自分はとことんダメなやつだ」と。
人とコミュニケーションが上手くとれない上に自分から話しかける事もできない。これでは友達を作るのでさえ難しい。先月某高校に体験入学に行ってきた。その時一回だけ女子生徒数人とすれ違う場面があったのだが、僕は「赤面」、「硬直」、「頭が真っ白」になった。その後失笑される。普通はこの後どういう風に感情が変化するのだろうか。女子生徒に対して怒りや嫌悪感をおぼえるのだろうか、よくわからないが、僕の場合、「強烈な自己批判」へと感情は移行した。自分が赤面、硬直、頭が真っ白になった事に対して強烈な怒りを感じるのだ。そして感情は自己嫌悪へと移行する。この時点で自分の中で自分という存在はもう「どうでもいい存在」になっている。その後自傷へ至る事もある。
先ほどあげた、一定期間が過ぎると話しかけられなくなる事に関しても自分の中で痛烈に批判している。「なぜそんなこともできないんだ!」「お前は友達を作りたいのか?答えろ糞野郎」「みんなできるのにお前はできない」「とっとと自傷してしまえよ」「仮に話しかけたって相手にとって迷惑なだけだよ、だって話しかけてきたのがお前だもん」とこんな感じ
である。あらゆることに関して自己批判の感情がおこってしまうのだ。普通なら自分を褒めるような事でも僕にとっては批判する種でしかない。今文章がおかしなことになっていることに関しても強烈に批判している。結局はここにたどり着く。「自分はとことんダメなやつだ」と。
まさか本当にこうなるとは...
某サービスでもうやめたいと発言した。それは誰かに「やめる」という行為を阻止して欲しかったからに他ならない。自分で退会すべき理由をあげてそれが行き過ぎた考えである事を確認したかった。誰かがやめることに関して疑問符をつけてくれると思っていた。
ただ返事(コメント)は一つもつくことはなかった。これはすなわち、僕があげた理由は全て今の僕に当てはまる事柄であり、やめる事に関して反対する余地はない。という事なんだろうと解釈した。誰からも必要とされていない事が再び露になった。僕には強みはない。弱みしかないのだ。
ただ返事(コメント)は一つもつくことはなかった。これはすなわち、僕があげた理由は全て今の僕に当てはまる事柄であり、やめる事に関して反対する余地はない。という事なんだろうと解釈した。誰からも必要とされていない事が再び露になった。僕には強みはない。弱みしかないのだ。
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